プロフィール

 

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(1)永遠の小学5年生

 

北海道から来た、おバカ系、現役物理教師、コンちゃんと言います。

ぼくはいま、不登校に関わる複雑系、難問系を専門とするカウンセリングトレーナーをしています。

不登校は、複雑な問題がからむことが、ほとんどです。

 

そんなとき、小学5年生の頃の自分が、助けてくれます。

 

「こんな壁があったら、ぼくは、うごけないっす。」

 

クライアントさんから許可をもらい、中立の立場で、関係先と連携をとり、その壁の全容に注意を向けます。

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30年間、公立高校の教員をしてきました。

ぼくが関わった、不登校の子たちは、ひとり残らず、元のクラスに戻っていきました。


学校カウンセラーさんが驚くことも、たびたびでした。

 

ぼくは、しばらく話していると、その子の現在地が、分かるようになりました。

 

問題を乗り越えたかどうかを、本人や家族が、気づくより前に、分かります。

 

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ウツ症状の子は、面談してすぐに症状が軽くなり、休まなくなりました。

抗うつ剤も、徐々に軽くしてもらい、ついには不要になりました。

強迫性障害の子も、ぎりぎりで卒業。

ちょっと手ごわかった。

少し話すと、すぐに良くなるけれど、継続したトレーニングが、必要でした。

起立性調節障害の子も、気分がよくなるとともに症状が軽くなり、受験にも挑戦し、大学に進学していきました。

 

(2)脱線ナンバーワン

 

ぼくの妻は、リウマチがひどく、寒い場所が苦手でした。

娘が2歳のとき、札幌から、暖かそうな、函館に転勤。

しかし、函館も、この通り。

娘は大よろこび。

だけど、妻は、冬の間、家に閉じこもる日が続きました。

そこでぼくは、妻の希望する、神奈川に職を求め、何度も通いました。

しかし、最終面接が、うまく行きません。

どうしてなのか?

今年、あるセミナーを受講して、その理由がわかりました。

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セミナーで、何人かの講師に、指摘されました。

「コンちゃんの話は、いつも脱線するよね!」

「これまで出会った中の、脱線ナンバーワンよ!」

つらい話をしていたら、別の話題に飛んでしまう。

それでは、会話が成立しないというのです。

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たくさんの困ったクセを、乗り越えてきました。

しかし「話の脱線」というクセには、気づきませんでした。

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長い長い会話の間、ぼくは、黙り込んでいました。

結論に達した時のことです。

気づいてくれた人がいました。

「それって、さっき、コンちゃんが言ったことだよね!」

結論が、ぼくの意見と、ほぼ同じでした。

タイミングが、ずれると、ただの脱線なんです。

ぼくは脱線ナンバーワンです。

だけど、信じて欲しいのは、結論が、そうなることがほとんどだということ。

時間の限られた面接では、ぼくはただ脱線するだけの、変な人でした。

このクセには、理由があります。

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小学5年生の冬のこと。

止まらない頭痛の検査のため、雪の中、北大病院に連れて行かれました。

検査の結果は、母が封印してしまいます。

20歳の時に交通事故に遭い、脳波の検査がありました。

カルテには「abnormal」と書かれています。

グラフには、発達障害の傾向を示す波形が現れていました。

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少し前の、小学5年の夏。

クラスの集団にイジメを受け、不登校になりました。

クラスの子が両親に教えてくれた。

担任も乗り出した。

しかしその後も、嫌がらせが止まりません。

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学校に行きたくても、身体が動かない。

不安から、お腹も痛くなり、夜も眠れない。

体調は最悪で、頭痛が止まらなかった。

ぼくの不登校は、両親の後押しで、克服できました。

不安の原因は、時間が解決してくれました。

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小6の春。

イジメっ子たちは、こう言いました。

「そろそろ、許してあげるよ。」

ぼくは、めまいがしそうでした。

だけど、その言葉に、すなおに乗りました。

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成人してからも体調はすぐれず、おかげで、健康食品に詳しくなりました。

薬を使わずに頭痛が消える方法を、発見しました。

 

 

(3)好転のとき

 

ぼくが不登校の時、父がしてくれたことです。

父は、無理に学校に行かせようとしませんでした。

むしろ、本を読むように勧めてくれました。

父親は、小さな菓子屋を営んでいます。

仲のいいお得意さんが、ぼくの話を聞いたそうです。

数十巻の、子ども向けの文学全集を譲り受けました。

父は、リヤカーに載せて、運んできてくれました。

ぼくはその本から、勇気と、知恵をもらいました。

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小学5年の時、立ちはだかった壁。

身体が動かなくなること。

毎日が、不安で、悲しかったこと。

公立高校の正規教諭となり、30年間、物理を教えてきました。

特徴は、生徒の異変に、いち早く、気づくこと。

不登校の頃の、重苦しい気持ちが、襲ってきます。

子どもたちより、先に泣いてしまう。

こころは、小学5年生のままのようです。

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ぼくは、発達障害、不安障害、精神障害への、怖さがありません。

ぼく自身が、ずっと、戦い続けてきたことだからです。

医療の問題ではなく、教育の問題だと信じています。

 

 

(4)確信へ

 

ぼくが出会った不登校の子たちは、当然ながら、みんな、メンタルをやられていました。

しかし、彼らの中には、自分で、乗り越える力があります。

少し話してみると、そういった子たちの、現在地がわかります。

その子のいる場所から、笑顔になるまでの時間。

それは、15分から、長くて、3時間です。

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ぼくにとって、物理教室は、休みがちな生徒と話す、気持ちの落ち着く場所でした。

子どもたちは、次の日から、休まずに来るようになりました。

新入生歓迎会などのイベントは、休みがちな生徒もやってくる、チャンスでした。

気になっていた生徒の横に座ると、ぼくはおバカなので、受け入れてくれます。

どうでもいい話から、深いところへ、話を進めます。

いつの間にか校長先生が、近くに座り込み、話を聞いていたことがありました。

「いい話だったね。」

「ずっと気になっていた子なんです。」

それをきっかけに、特別支援教育コーディネータの役も任されることになりました。

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この春、あるセミナーを400名の同期とともに修了しました。

さらに、自分の心の、ダイヤモンド、つまり、核心の部分を見つけるためのプログラムも、修了しました。

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そこで分かったことです。

これまでやってきたことが、間違っていなかった!

自分の心の芯を掘り当てた。

他の人の芯を掘り当てることにも、自信をつけました。

準備は、整いました。

 

 

(5)ミッション

 

ぼくは、発達障害で悩む子に、伝えています。

「発達障害なんて、本当は存在しないんだ。」

かつて、胃潰瘍は、難病と言われていました。

いまは、原因がわかり、難病ではなくなっています。

発達障害も、いずれ、すべての乗り越え方がわかり、障害ではなくなります。

すでに、医療ではなく、教育の問題。

 

みんな、競争社会に、疲れている。

協調・協力を、新しい教育体制の重点にしなくては。

そうすれば、みんなの才能を、活かすことができる。

学校も、いまよりもっと、楽しくなる。

 

(6)ビジョン

 

協調・協力を重視する社会では、人々の心がおだやかになり、生活がしやすくなります。

少子化が加速中と言います。

しかし、止まらない予想は、いまの教育システムの状況下でのことではないでしょうか?

協調・協力を重視する教育を、広めること。

競争を、なくすることではありません。

競争は、楽しめばいい。

さまざまな不安がなくなり、安心して子育てができる社会が実現します。

ぼくの娘が、大人になるころの、夢です。

日本の人口が、いまより増えること。

協調・協力を大切にする人が、増えていけばいいなと願っています。