伝記(でんき)

伝記 ジョージ・スティーブンソン

■蒸気機関車(じょうききかんしゃ)を「発明(はつめい)」した人は1771年生まれで、「実用化(じつようか)」した人は1781年生まれ、2人はちょうど10歳違いです。しかも、どちらも33歳のときに蒸気機関車を作りあげました。

この技術(ぎじゅつ)は、新幹線(しんかんせん)や飛行機(ひこうき)にもつながる、大切な発明(はつめい)でした。人々は遠くまで旅ができるようになり、さまざまなドラマが生まれています。

蒸気機関(じょうききかん)というのは、ヤカンの中のお湯がわいたときに出てくる水蒸気(すいじょうき)の力を使ったり、水蒸気が水に変わるときの勢いを使ったりして動くエンジンのことです。湯沸かし(ゆわかし)エンジンと考えるとよいです。

はじめのころの蒸気機関は、熱効率(ねつこうりつ:むだのなさ)が1%以下、つまり100円分の石炭をもやしても、1円分しかはたらかず、99円分がねつになってにげてしまうものでした。

電気(でんき)の使用量(しようりょう)の単位(たんい)で有名(ゆうめい)なジェームズ・ワットは、1769年、蒸気機関の効率(こうりつ)を5倍以上に変える範囲(はんい)の広い改良の特許をとり、ほとんど独占状態(どくせんじょうたい)になっていました。

ワットは、ボイラーやシリンダーの中の圧力が2,3気圧を超えたときの危険を考え、世の中の人たちが、高圧のエンジンを作らないように呼びかけていました。

ぴな
ぴな
2気圧(にきあつ)というのは、自転車のタイヤの中の空気圧くらいだよ!
ワット
ワット
ボイラーの圧力が3気圧にもなったら、大爆発(だいばくはつ)をおこして、大事故(だいじこ)になってしまうぞ!

そんなワットの心配は、技術の進歩を遅らせてしまったかもしれません。その一方で、鉄を溶接(ようせつ)するための技術(ぎじゅつ)などがどんどんあたらしくなって行き、大事故(だいじこ)が起こるのをふせいだともいえます。

ワットの特許は1800年6月に切れたので、そこから開発競争(かいはつきょうそう)がはじまりました。

■発明した人、リチャード・トレビシックは、父親が鉱山(こうざん)の監督(かんとく)という裕福(ゆうふく)な家に育ちました。リチャードは勉強嫌い(べんきょうぎらい)でしたが、メカが大好き。小さな頃から父親の鉱山(こうざん)で使われていた蒸気機関に興味(きょうみ)をもっていて、あたらしい技術(ぎじゅつ)に目を向けては、どんどん身につけていきました。

1804年、リチャードは鉄のレールの上を走る蒸気機関車ペナダレン号(ごう)を作りました。これが世界(せかい)で初めて(はじめて)の蒸気機関車で、時速(じそく)3.9キロメートル。ちょうど人が歩くのと同じくらいの速さだったとか。

その後1808年、知り合いに頼まれてもう一台の機関車「Catch Me Who can(つかまえてごらん)」号を作ったものの、子どもが走るのと同じくらいの時速8kmほどで、名付けたほどには速く(はやく)ならず、ガッカリしたそうです。

リチャードは、苦労して作り上げた技術を特許(とっきょ)にすると、すぐに他の人に売ってしまいました。ボイラーの爆発事故で死者を出してしまったことが、心の中に影響したのかもしれません。

彼が蒸気機関の開発に関わった期間は、19歳から37歳までの18年間で、その後は鉱山の仕事に専念したそうです。しかしその後も彼はたくさんの人に慕われ続け、彼の孫であるリチャードFトレビシック、フランシスHトレビシックの2人が来日して、鉄道の技術を伝えています。

■一方、蒸気機関車の実用化に成功した人、ジョージ・スティーブンソンは、父親も母親も共に読み書きができない、貧乏な家庭に育っています。ジョージは学校には通わず、父親の働く炭鉱で、機関夫の見習いをしていました。

18歳のとき、彼は自分の稼いだお金で夜間学校に通い始めます。蒸気機関を扱うには、本を読んだり計算を学んだりしなくてはなりません。今の日本にも、夜間学校はあるんですよ。

1814年、最初に作り上げたブリュッヘル号は時速6.4キロメートルで、10年前のペナダレン号より少し速い程度でした。

当時、レールはどんな材料で作って良いかが分かっておらず、もろい鋳鉄(ちゅうてつ)で作られたレールがよく壊れたため、丈夫にするための研究もしています。

1820年、全長13kmの鉄道をたのまれたときに、錬鉄(れんてつ)という丈夫な材料でレールを作ってくれる工場があり、その後、もろい鋳鉄(ちゅうてつ)を使うことはなくなりました。

その後、1821年には全長40kmの鉄道を作ることになり、そこでも錬鉄製のレールだけを使いました。

このとき、壊れやすい鋳鉄製のレールを作っていた会社が、これまで通り自分の会社のレールを買ってくれる約束だったはずだと、名乗り出てきたそうです。

しかし、良く考えてみてください。丈夫な錬鉄(れんてつ)がレールの材料としてふさわしいことがわかっているのに、こわれやすい鋳鉄(ちゅうてつ)のレールを買う約束をするでしょうか?

ぴな
ぴな
この人も、コミュニケーションの大切さを知っていれば、つよいレールを作っていたでしょうにね!

その会社にはかわいそうですが、よわいレールで儲けようとせずに、丈夫なレールを作る技術を身につけてから、出直した方が良いと思いませんか?

この頃に作られた、レールの幅1435mmは、今では新幹線のレールの幅としても使われていおり、「スティーブンソン・ゲージ」と呼ばれています。

■私が小さな頃に読んだ伝記の中でこんな記憶があります。

ある偉人が子どもの頃、お母さんが危篤状態になり、医者を呼ぶためにとなりの大きな町まで走ったが間に合わず、死なせてしまった。そのため、貧しい人も利用できるような移動手段があれば、と常々思っていた・・・というようなくだりがありました。

スティブンソンの伝記だったと思うのですが、その記述が見つかりません。ご存知の方、いらっしゃいましたら教えてください。

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