伝記(でんき)

伝説(でんせつ)の保険(ほけん)外交員(がいこういん) ベン・フェルマン

ベン・フェルマン(1912-1993)は、ニューヨークに住(す)んでいたロシアからのユダヤ人(じん)移民(いみん)であった父(ちち)イサークと母(はは)ベルタとのあいだに、9人の子どもたちの1人として生まれました。

ベンが保険(ほけん)の外交員(がいこういん)として働(はたら)きはじめたのは30歳(さい)のときのことでした。場所(ばしょ)はオハイオ州(しゅう)イーストリバプール。彼(かれ)は生涯(しょうがい)のほとんどをそこで暮(く)らしたといいます。

保険(ほけん)というのは、お客さんから例えば月々20ドル(当時6千円くらい)ずつ支払ってもらい、その人が事故や病気で亡くなったとき、5,000ドル(150万円くらい)を支払ってくれるというものです。

保険の外交員(がいこういん)は、そういう保険に入ってくれるお客さんを見つける人のことです。

月々6千円で150万円を貯めるには20年かかりますが、たとえ10年後に亡くなったとしても150万円が支払われるのですから、その家族にとってはとても助かります。しかし、長生きする人が多いので、保険会社に入るお金の方が多くなり、損をしていないのです。

この頃の保険は他に種類がなく「5,000ドル保険」と呼ばれていました。
(1ドルは、現在では100円くらいですが、当時は300円くらいです)

ベンは、この仕事を誇りにしていました。お客さんたちからも信頼されていました。あるとき、150万円の保険金がおりて助かったという、お客さんからの感謝の手紙を読んでいるとき、ふと、こう思ったそうです。

「この金額に、『0』を一つ加えたら、どうなるだろう?」

ベンは計算をしてみました。

「月々6千円ほどで150万円が支払えるのだから、月々6万円で、1,500万円(50,000ドル)にできる。この方が、お客さんたちは助かるのではないだろうか?」
会社とも相談してみると、OKが出ました。しかも、月々6万円ではなく、4万円くらいまで値引きをしても良いことになったと思います。
ベンの会社では、5000ドル保険と50000ドル保険の2種類を売ることになりました。

その結果、保険金が150万円ではお葬式を出すとほとんどなくなってしまうけれど、1500万円あれば、しばらく生活が続けられます。
ベンは、5,000ドル保険だけのときよりも、50,000ドル保険の方がたくさん売れるようになりました。そして、以前よりももっとたくさん、感謝の手紙をもらうようになりました。
そこで、ベンは再び考えました。

「この金額に、『0』を一つ加えたら、どうなるだろう?」

ベンはまた計算をしてみました。

「150万円にするのに月々6千円、1500万円にするのに月々6万円ではなく4万円、1億5千万円にするには月々40万円になってしまうので、今度も値引きをしてもらえないだろうか?」
会社に相談してみると、5万円~30万円!(当時のことがわかりません)くらいの金額でOKが出たと思います。
ベンは結局、500,000ドル保険を飛ぶように売りました。

ベンは、1ドルを1年あたり3セントで売ったといいます。つまり、3セント×33年=99セントなので、1年に支払った金額の33倍のお金が戻ることになります。
このことをお客さんに熱心に説明をして、納得してもらっていたのでした。
1億5千万円を33年で割り、さらに12ヶ月で割ると月々38万円ほどになってしまうので、実際にはもっと安く売っていたと思います。

ベンがたった一人で売上げた保険の額は、アメリカ中の保険外交員全員分の販売額と同じだったそうです。
それはアメリカの歴史に残るような世界記録を打ち立てました。1年あたり1億ドル(当時の300億円くらい)の記録を持つだけでなく、たった1日で2千万ドル(当時の60億円)を売り上げた記録についても、今も超える人はいないのだろうと思います。

スーパーセールスマンとなったベンですが、どんなに強気な人なんだろうと思うかも知れません。しかし、実際にはとても恥ずかしがり屋な人だったと言います。
たくさんの保険の会社があつまった会議でスピーチをすることになった時、ベンはあまりにも恥ずかしがり屋で、観客席とステージの間にスクリーンを置いて自分が見えなくなるようにお願いしたそうです。

考えてみましょう

ベン・フェルマンが伝説の保険外交員になった理由は、どこにあるのでしょう?

ABOUT ME
pinosuke
ぴのすけ@30年間、地方で物理の教師をやったあと起業してしくじり、いまは会社員をしながら再起動中です。 学校では、うつや不安症やアレルギーといった、心理面、健康面でのサポートが得意で、無理だと思われていた子も、不思議と学校に戻ってきました。 大きなしくじりを体験し、ビジネス面でも意外に「ついてる」ことが発覚。 これからはビジネスに重心を置いて、サポートの力を試していきます。