おひつじ座のすこし北、ペルセウス座の2番目に明るい星、アルゴルは、3日に一度、3時間かけて『瞬き』をする。古代アラビア人が「ラスアルグル(食人鬼の頭)」と呼び、古代エジプト人がその周期を2.850日(有効数字4桁!!)と記録した、人類史上数千年、注目され続けた星。しかしその瞬きの理由は、謎のままだった。ガリレオやニュートン、マッハなどの名だたる天才たちもこの謎に取り組んだが、その物理を想像すらできなかった。
『アルゴル型食変光星』……この解明に成功したのは、耳の聞こえないアマチュア天文学者、だった。
19歳のジョン・グッドリック(1783年イギリス)は幼い頃に聴覚を失った。聾者(ろうしゃ)というハンディを背負った少年は、聾学校を出た後、数学を学ぶため、アカデミー(大学の一種)に進んだ。彼が数学を学んでいなかったら今、彼の名前を知る人はいない。もちろん、大学を出ても成功が約束されるものではいない。事実、就職はなかった。しかし彼の努力を無駄にしなかった、天使のような存在があった。
自宅に天文台を持つアマチュア天文学者エドワード・ピゴットは『ピゴット彗星』などの発見をした実力派で、当時『変光星』の発見に一緒に取り組んでくれる仲間が欲しかった。そんな彼の近所の青年が、大学で数学を学んで戻ったことを知り、天文学に誘った。天文学の資質に耳が聞こえるかどうかは関係がない。逆に、人見知りなピゴットはそんな弱みを持った人物の方が親しみ易かった。グッドリックは、残された視力と、学んだばかりの数学の両方を生かすことができる天文学に、人生のすべてを捧げることになった。
興味・関心は、人の運命を決める。ピゴットチームの目的は、誰より早く新しい『変光星を発見』することにあったが、グッドリックはその一員として働きながらも、その関心は次第に『変光の原因』自体に傾いていった。彼らの共同研究は続き、よきライバル同士となった。
ペルセウス座は冬の星座。グッドリックは冬の間の観察記録をもとに、何通りもの作図をした。ある種の『日食』に近いことは、ピゴットから教わった。地球、月、太陽の間に起こる日食には周期があり、29.5日の整数倍、特に177日ごとに地球のどこかで日食は起こっている。しかしアルゴルの『周期3日』は想像を超える。地球とアルゴルの間に『別の星』が有るのなら、なぜアルゴルだけ影響を受けるのか? また、『連星(双子星)』の可能性は、多くの専門家が見逃していた。当時発見されていた連星はすべて肉眼で見えるほど離れており、周期も100年以上というのが通念だったからである。
しかしグッドリックにはそんな通念より、数学がすべてだった。やがて彼は、アルゴルがこれまでとは違う形の『連星』であり、明るい太陽と、ほぼ同じ大きさの暗い太陽が、至近距離でお互いに回りあうことを導き出した。天文学上のブレークスルーとなった『食連星(しょくれんせい)』の発見である。
グッドリックがピゴットに助けられながら書いた初めての論文はアマチュアのレベルを超え、いきなり『博士論文』に匹敵した。その論文によって、ファラデーやニュートンと並ぶイギリス王立協会の会員に選出されたのである。つまり聾者として初めて大学教授の地位についた。もうアマチュア天文学者ではない。
しかしそんなグッドリックの肩書きは、今も『アマチュア天文学者』である。彼が最高位の学者として選出されたほんの4日後、その朗報を受け取ることなく、肺炎のため、21歳の若さで夭逝してしまったからである。
グッドリックの論文は、多くの物理学者、天文学者に読み継がれた。1842年、オーストリアの天文学者による『ドップラー効果(注1)』の発見、1948年ロシアの物理学者ガモフによる『ビッグバン宇宙論(注2)』の発想は、アルゴルの瞬きが元になっている。また、アルゴル以降、『連星』は次々と発見され、結局、空に見える星の約半数が『連星』つまり、双子星であることが判明している。
(注1)光や音の周波数が光源や音源の運動によって変化する現象
(注2)宇宙が小さな塊の大爆発によって生じたという、現在の宇宙論の基本