ぼくが5歳くらいの生意気なヤツだったころ、3つ上の姉に「のんのちゃんのコップにも触れない、弱虫のくせに」みたいなケンカを売られた。「のんのちゃん」っていうのは「神さま」のことで、「コップ」というのは神だなの一番上の、水を入れるまるい「水玉」のことだ。あれは、さわっちゃダメなヤツじゃん。
一瞬ひるんだものの、すぐに踏み台をもってきて、恐るおそる神棚の奥の段に左手を置き、右手で「みたまさま」のコップをつかんで、「どうだよく見ろ」と姉にみせつけた。しかし「まいったまいった」と驚くはずの姉はなぜか、ニコっと微笑む。次の日からぼくは、姉に代わって毎朝、神だなの水の交換をする係になった。イソップ童話かよ。
ぼくが「のんのちゃんのコップ係」になるまでの長い前置き
ここから先は、逆立ちして読んでも宗教のお話ですが、ひとつだけ申し伝えさせてください。
ぼくの父は亡くなる前に両脚を切断したのですが、そのことについて分教会のおばあちゃんに「いんねん」という言葉を持ち出され、頭をダイコンでなぐられたようなショックを受けました。ぼくはそれを未だに根に持っていて、宗教というもの全体から、かなりとおく距離をおいています。
ぼくの父はもともと熱心な禅宗の人で、ぼくのとんちは父に仕込まれました。ところが、父が最初の奥さんをなくした後に迎えたあたらしい奥さん、つまりぼくの母は、熱心な天理教の人でした。
ぼくの最初の婚約者のように「私は学会の人とじゃないと結婚しない」なんて柔らかく強制しちゃう人もいるけれど、天理教は、入信するかどうかは気にしません。楽しい雰囲気だけ匂わせて、釣るんです。
ぼくの母は、その町に教会があるのを見つけ、ひとまず安心。そこの月次祭の日を確認して、あえて「直会」の時間を目がけて、父親をさそって行ったそうです。
☆月次祭:信者が月に一度お供えをもって教会に集まり、「世界一長いお祈り」といわれる「かぐらづとめ」をぜんぶやるイベント。母は「かぐらづとめ」にハマり、日本舞踊の先生の資格をとりました。
☆直会:お供えものの料理をふるまったり、お菓子がもらえる行事。子どもたちは、そのギネス級に長いお祈りにちょっとだけ付き合った後、こっそり抜け出してみんなで遊びながら「直会」が始まるのを待つ。
その直会での、おいしいお酒にすっかり呑まれてしまった父は、まもなく改宗しただけでなく、何度も遠い奈良県天理市や淡路島まで通い「布教所」の資格をもらってしまいます。
☆布教所:天理教は「本部」が奈良県天理市にあり、本部直属の「大教会」から「分教会」に分かれ、それぞれ「布教所」をもつ。うちは淡路島にある「洲本大教会」の系列。
のんのちゃんのコップ係に、最年少で任命される
布教所となったぼくの家では、押入れを改造した、わりと大きな神だなが作られ、朝は必ず「水玉」の水を交換します。子どもたちは、大きくなってその「水玉」に背が届くようになったとき、次々と水を換える係に任命されていきました。
いちばん上の兄は3年間、次の姉も3年間で、順番にバトンタッチして行きました。そしてぼくのすぐ上の姉は、交代して1年経ったとき、こう考えたのでした。
そんなわけで、ぼくが2つ下の弟にバトンタッチするまで、約5年間の長きにわたり、「のんのちゃんのコップ係」として、月次祭に来た人たちに愛され、特にこの後登場する「岡田さんのおばちゃん」には「えらいねぇ、ぴのちゃん、毎日毎日」と、ほおずりをされるほどになりました。
ちゃんちゃん。現場からは、以上です。
月次祭、本日夜7時から・・・禅宗だった父のとんち
毎朝、家では毎朝「おつとめ」があり、「悪しきを払うて助けたまえ・・」という「ておどり」を21回くり返します。いちばん小さい子は楽器はやらせてもらえず、たいていは、21本の赤いふさふさしたひものついた「数取り」を渡されます。
最初はぜんぶのふさを小指側にたらしておき、一本ずつ忘れないように親指側に送って、終わったら台の上において、自分も「ておどり」に入り、21回になったことを知らせます。
そんな大切な仕事なのに、ぼうっとしていると、ふさを送るのを忘れます。それで、機転を利かせて3本送っておき、すました顔で台の上においたら、、大人の皆さんはそれをムシして、そのあと3回続けたりします。
はやく、楽器をやりたかった。
ちなみに、ぼくの尊敬する斉藤一人さんは、「神さまには感謝をするもので、助けを求めてはいけない」とおっしゃいます。
ぼくも、その通りだと思います。それで、ここで終わるとまずいので、ぼくが教わったことをアレンジしてみます。
・21回もくり返す「助けたまえ」の意味は、助けてくださいの意味はなくて、それだけ何度もくり返していると、さすがに気持ちが楽になっちゃうからです。
間違ってたらごめんなさい。
「月次祭」の日は教会から決められていて、うちでは毎月7日でした。店の前に
「月次祭、本日よる7時」
と、父が筆で書いたりっぱな貼り紙が貼られました。
それは「直会」の始まる時間で、本物の月次祭は、4時に始まります。3時だったかな?
だから近所の人たちは間違えることなく「宴会」の時間に来ることができます。さすが、禅宗の人です。
実際、ギネス級に長い「かぐらづとめ」の最中に一般の人が来てしまうと、途中で帰りたくなります。でも、岡田さんのおばちゃんは別でした。
月次祭を楽しみにしていたおばちゃんの話
岡田さんのおばちゃんは、入信はしませんでしたが、なぜか「かぐらづとめ」を踊りにきました。日本舞踊の師範である母のてほどきをうけて。
岡田さんのおばちゃんには、とても申し訳ないことですが、小さいぴのすけはめちゃめちゃ人見知りで、自分の母親より若い人を見分けるのが得意でした。
ぼくは岡田さんのおばちゃんに抱きかかえられるたびに、大泣きした記憶があります。それでもかまわずいつも月次祭にやってきては、ぼくをかわいがってくれた岡田さんのおばちゃんには、「尊敬の気持ち」しか有りません。
朝の5時。ぴのすけ全力で「ねごと」をさけぶ
ぴのすけは、小学校の3年生か4年生になりました。
ある朝のこと
菓子屋の朝はパン屋さんほどではないですが、早起きです。
4時には両親が工場での仕込みに入り、5時頃、母が朝ごはんの仕度に、台所に戻ってきてすぐのことでした。
母には、はっきりぼくの叫び声が聞こえたそうです。
「のんのちゃんのコップが、倒れちゃった」
その声を聞いて母は、時計を確かめました。
朝の5時。
母は、ぴのすけがこんなに朝早く起きても、寝ぼけてるにちがいない。
水を換えようとして、水玉を落としたのだろう、と思ったそうです。
ところが、部屋はまだまっ暗で、大声で叫んだぼくは、すやすや寝ています。
母は、僕の寝顔を見て安心したものの、いやな予感がしたそうです。
だれかが亡くなるとき、カラスは、なぜか嫌な鳴き方をするそうです。
その前日、姉たちは母が「今日はカラス鳴きが悪い」と言っていたのを聞いていました。
朝ごはんの仕度を終えて、工場に戻ろうとしたときだったそうです。
電話が鳴り、母は、その瞬間、入院中の岡田さんおばちゃんの顔を思い浮かべました。
電話はやはり、岡田さんの息子さんからで、今日の朝5時に、息を引き取ったとのことでした。
朝の5時。それは、ぴのすけがちょうど、ねごとを言った時間でした。
のんのちゃんのコップが、倒れちゃった。
ぴのすけは、夢の中で何を見たのでしょうか?
この次のが、ちょっとホラーです。