えほん・どうわ・たんか

のんのちゃんのコップのお話(前編)…ゆうれいは、いちばん楽しかったところにやってくる(ホラーじゃない方の話)

ぼくが5歳くらいの生意気なヤツだったころ、3つ上の姉に「のんのちゃんのコップにもさわれない、弱虫のくせに」みたいなケンカを売られた。「のんのちゃん」っていうのは「神さま」のことで、「コップ」というのは神だなの一番上の、水を入れるまるい「水玉」のことだ。あれは、さわっちゃダメなヤツじゃん。

一瞬ひるんだものの、すぐに踏み台をもってきて、恐るおそる神棚の奥の段に左手を置き、右手で「みたまさま」のコップをつかんで、「どうだよく見ろ」と姉にみせつけた。しかし「まいったまいった」とおどろくはずの姉はなぜか、ニコっと微笑ほほえ。次の日からぼくは、姉に代わって毎朝、神だなの水の交換をする係になった。イソップ童話かよ。

ぼくが「のんのちゃんのコップ係」になるまでの長い前置き

ここから先は、逆立ちして読んでも宗教のお話ですが、ひとつだけ申し伝えさせてください。
ぼくの父は亡くなる前に両脚を切断したのですが、そのことについて分教会のおばあちゃんに「いんねん」という言葉を持ち出され、頭をダイコンでなぐられたようなショックを受けました。ぼくはそれを未だに根に持っていて、宗教というもの全体から、かなりとおく距離をおいています。

姉のおかげで、のんのちゃんのコップ係は最年少で、ぴのすけにゆずられました。

ぼくの父はもともと熱心な禅宗の人で、ぼくのとんちは父に仕込まれました。ところが、父が最初の奥さんをなくした後に迎えたあたらしい奥さん、つまりぼくの母は、熱心な天理教の人でした。

ぼくの最初の婚約者のように「私は学会の人とじゃないと結婚しない」なんて柔らかく強制しちゃう人もいるけれど、天理教は、入信するかどうかは気にしません。楽しい雰囲気だけ匂わせて、釣るんです。

ぼくの母は、その町に教会があるのを見つけ、ひとまず安心。そこの月次祭の日を確認して、あえて直会なおらいの時間を目がけて、父親をさそって行ったそうです。

月次祭つきなみさい:信者が月に一度お供えをもって教会に集まり、「世界一長いお祈り」といわれる「かぐらづとめ」をぜんぶやるイベント。母は「かぐらづとめ」にハマり、日本舞踊の先生の資格をとりました。

直会なおらい:お供えものの料理をふるまったり、お菓子がもらえる行事。子どもたちは、そのギネス級に長いお祈りにちょっとだけ付き合った後、こっそり抜け出してみんなで遊びながら「直会」が始まるのを待つ。

その直会での、おいしいお酒にすっかり呑まれてしまった父は、まもなく改宗しただけでなく、何度も遠い奈良県天理市や淡路島まで通い「布教所」の資格をもらってしまいます。

布教所ふきょうじょ:天理教は「本部」が奈良県天理市にあり、本部直属の「大教会」から「分教会」に分かれ、それぞれ「布教所」をもつ。うちは淡路島にある「洲本大教会」の系列。

のんのちゃんのコップ係に、最年少で任命される

布教所となったぼくの家では、押入れを改造した、わりと大きな神だなが作られ、朝は必ず「水玉」の水を交換します。子どもたちは、大きくなってその「水玉」に背が届くようになったとき、次々と水を換える係に任命されていきました。

いちばん上の兄は3年間、次の姉も3年間で、順番にバトンタッチして行きました。そしてぼくのすぐ上の姉は、交代して1年経ったとき、こう考えたのでした。

ぴのみ
ぴのみ
「ぴのすけも、背伸びすれば届くんじゃね?」

そんなわけで、ぼくが2つ下の弟にバトンタッチするまで、約5年間の長きにわたり、「のんのちゃんのコップ係」として、月次祭に来た人たちに愛され、特にこの後登場する「岡田さんのおばちゃん」には「えらいねぇ、ぴのちゃん、毎日毎日」と、ほおずりをされるほどになりました。

ちゃんちゃん。現場げんばからは、以上です。

月次祭、本日夜7時から・・・禅宗だった父のとんち

毎朝、家では毎朝「おつとめ」があり、「悪しきを払うて助けたまえ・・」という「ておどり」を21回くり返します。いちばん小さい子は楽器はやらせてもらえず、たいていは、21本の赤いふさふさしたひものついた「数取り」を渡されます。

最初はぜんぶのふさを小指側にたらしておき、一本ずつ忘れないように親指側に送って、終わったら台の上において、自分も「ておどり」に入り、21回になったことを知らせます。

はは
はは
大切な仕事だからね。

そんな大切な仕事なのに、ぼうっとしていると、ふさを送るのを忘れます。それで、機転を利かせて3本送っておき、すました顔で台の上においたら、、大人の皆さんはそれをムシして、そのあと3回続けたりします。

ぴのすけ
ぴのすけ
数が、合わないよ。

はやく、楽器をやりたかった。

ちなみに、ぼくの尊敬する斉藤一人さんは、「神さまには感謝をするもので、助けを求めてはいけない」とおっしゃいます。
ぼくも、その通りだと思います。それで、ここで終わるとまずいので、ぼくが教わったことをアレンジしてみます。

・21回もくり返す「助けたまえ」の意味は、助けてくださいの意味はなくて、それだけ何度もくり返していると、さすがに気持ちが楽になっちゃうからです。

間違ってたらごめんなさい。

「月次祭」の日は教会から決められていて、うちでは毎月7日でした。店の前に

月次祭、本日よる7時

と、父が筆で書いたりっぱな貼り紙が貼られました。

それは「直会なおらい」の始まる時間で、本物の月次祭は、4時に始まります。3時だったかな?

だから近所の人たちは間違えることなく「宴会」の時間に来ることができます。さすが、禅宗の人です。
実際、ギネス級に長い「かぐらづとめ」の最中に一般の人が来てしまうと、途中で帰りたくなります。でも、岡田さんのおばちゃんは別でした。

月次祭を楽しみにしていたおばちゃんの話

岡田さんのおばちゃんは、入信はしませんでしたが、なぜか「かぐらづとめ」を踊りにきました。日本舞踊の師範である母のてほどきをうけて。

岡田さんのおばちゃんには、とても申し訳ないことですが、小さいぴのすけはめちゃめちゃ人見知りで、自分の母親より若い人を見分けるのが得意でした。

ぼくは、岡田さんのおばちゃんにつかまらないよう、親戚のお姉ちゃんにつかまっていました。
ぴな
ぴな
小さいときからだったんだね。

ぼくは岡田さんのおばちゃんに抱きかかえられるたびに、大泣きした記憶があります。それでもかまわずいつも月次祭にやってきては、ぼくをかわいがってくれた岡田さんのおばちゃんには、「尊敬の気持ち」しか有りません。

ぴな
ぴな
「愛」はないんですか?
ぴのすけ
ぴのすけ
「尊敬」と言う名の「愛」です。

朝の5時。ぴのすけ全力で「ねごと」をさけぶ

ぴのすけは、小学校の3年生か4年生になりました。

ぴな
ぴな
どっちだい。

ある朝のこと

菓子屋の朝はパン屋さんほどではないですが、早起きです。

4時には両親が工場での仕込みに入り、5時頃、母が朝ごはんの仕度に、台所に戻ってきてすぐのことでした。

母には、はっきりぼくの叫び声が聞こえたそうです。


「のんのちゃんのコップが、たおれちゃった」

その声を聞いて母は、時計を確かめました。

朝の5時。

母は、ぴのすけがこんなに朝早く起きても、寝ぼけてるにちがいない。

水を換えようとして、水玉を落としたのだろう、と思ったそうです。

ところが、部屋はまだまっ暗で、大声で叫んだぼくは、すやすや寝ています。

ぴのすけに、まくらはいらない

母は、僕の寝顔を見て安心したものの、いやな予感がしたそうです。

だれかが亡くなるとき、カラスは、なぜかいやき方をするそうです。
その前日、姉たちは母が「今日はカラスきがわる」と言っていたのを聞いていました。

朝ごはんの仕度を終えて、工場に戻ろうとしたときだったそうです。

電話が鳴り、母は、その瞬間、入院中の岡田さんおばちゃんの顔を思い浮かべました。

電話はやはり、岡田さんの息子さんからで、今日の朝5時に、息を引き取ったとのことでした。

朝の5時。それは、ぴのすけがちょうど、ねごとを言った時間でした。

のんのちゃんのコップが、たおれちゃった。

ぴのすけは、夢の中で何を見たのでしょうか?

この次のが、ちょっとホラーです。

ぴな
ぴな
ぎもんしつもん、ねがいごとは、こちらへどうぞ。





ABOUT ME
pinosuke
ぴのすけ@30年間、地方で物理の教師をやったあと起業してしくじり、いまは会社員をしながら再起動中です。 学校では、うつや不安症やアレルギーといった、心理面、健康面でのサポートが得意で、無理だと思われていた子も、不思議と学校に戻ってきました。 大きなしくじりを体験し、ビジネス面でも意外に「ついてる」ことが発覚。 これからはビジネスに重心を置いて、サポートの力を試していきます。