ぴのすけには、生まれる前の「記憶」があります。それはおかしい。そう思われる人のために、自分が脳波に異常のある、変な人だということも、白状しておきます。小学校6年生のとき、家から50キロ離れた大学病院で「きみの脳みそにはバグがある」みたいなことを言われました。20歳で交通事故にあい、精密検査を受けたとき、「abnormal」の診断をもらいました。
でもぼくは生徒に、こう言います。
でもきみは病院に行った人だよね。そんな独り言をいっても始まらないので、ぼくの「ありえない記憶」のお話をします。みなさんに、ご意見をお聞きしたいです。
☆バグ:bugは虫のこと。プログラムやアプリがおかしな動きをする原因は、そのプログラムの中に虫がいるからなんです。だから、その虫を退治すると、ちゃんと動くようになります。ただし、虫は最初からいるもので、わいて出てくるものではないので「このプログラム、だんだんバグってきた!」という言い方は、やめたほうが無難です。
(ぴのすけは学生時代IBM飯倉サービスセンターでごはんを食べるプログラマーでした)
ここからのお話は、逆立ちして読んでも宗教のお話ですが、前回もお伝えしましたとおり、ぼくはどの宗教からも、遠く距離をおいています。
のんのちゃんのコップのお話のつづき
ぼくは5歳くらいから小5の頃まで、家の神棚の「水玉」と呼ばれる容器の水を、毎朝交換していました。その容器のことをほくの家族では「のんのちゃんのコップ」と呼んでいました。ぴなちゃんから、質問がきました。
「のんのちゃんのコップ」の説明はしたものの、肝心の「のんのちゃん」の解説をしていませんでした。
☆のんのちゃん:のんのさま、ののさま。本当は「観音」さまのことらしいですが、神さまとか仏さまとか、お祈りする相手のことを、みんなそう呼ぶそうです。
天理教の「のんのちゃん」は、わりと世界共通だった説
☆結界:左から2番目の子どもがつかんでいる棒のような、境目を決める目印のこと。一般の人が入れない場所を仕切るのに使われる。「結界にぶらさがる」はぎりぎりセーフでした。
「のんのさん」は神さまだけじゃない
写真の小さい子どもたちの奥に見える、三つに区切られた祭壇の中には、次の「のんのさん」がいらっしゃいます。
左 「御霊さま」⇒亡くなった人をまつる
中 「おや神さま」⇒ヤハウェ、アッラーフとおなじ神さま
右 「おやさま(中山みき)」⇒教祖をまつる
「おや神さま」はひらたくいうと「天之御中主神」のことです。
(ぼくは交通事故のリハビリを兼ねて「修養科(3ヶ月研修)」に行きました。なんと「中島みゆき」さんと同じ詰め所(研修施設)。しかし3期下にくることになり、ぼくが奈良を出た次の日にみゆきさんが入るという、くやしさで3か月分ぜんぶ記憶からぬけちゃいました)
「天之御中主神」とは、「天空の中心点にあって、目も耳も口もなく、見て聞いて話ができる神さま」のことです。
キリスト教⇒「ヤハウェ」
イスラム教⇒「アッラーフ」
「みかん」のことを「オレンジ」「マンダリン」というのと同じです。
キリスト教やイスラム教の人たちが、神さまのことを「のんのさん」と呼ぶようになれば、きっと世界は平和になります。
ところで、新体操の練習、こういうところでやったら良いのに。
ぴなちゃんが前にいた新体操クラブは、キリスト教の高校とか、仏教の幼稚園の体育館でやってたんだよね。
のんのさんのコップの話のつづき
朝起きて、顔を洗ったら、まず最初にやるのが、のんのちゃんのお水を取り替えることでした。三つのコップ(水玉)をお盆にのせて、台所に水を換えに行きます。
台所には、水がめと、ひしゃくがありました。
ぼくは、ひしゃくをブルース・リーのヌンチャクみたいにわきの下にはさみ、水を汲みました。そうしないと、まだ手の力がない子どもなので、ひしゃくがくるんと回ってしまうんです。(絵の中ではわきが開いちゃいました)これは、実体験がないと、分からないことですよね。
最初に、左手でもったコップ全体にばしゃっとかけて、かわいた手ぬぐいの上に置いていきます。
冬の朝は、水がめが凍っていることがあり、「あちょー」って叫ばずにはいられませんでした。
もう一度ひしゃくに水を汲んで、3つのコップに半分ちょっと入れます。
最後に、ひしゃくに残った水を飲んで、口をつけたところを手で拭いて、ひしゃく掛けにかけます。
口の中に、ひしゃくの素材のアルマイトの、電気みたいな味が残ります。
「岡田さんのおばさん」の亡くなる日
うちの月次祭によく来ていた「岡田さんのおばさん」が亡くなったのは、ぼくが小学校の3年生か4年生のときでした。
姉たちが、母の「今日はカラス鳴きが悪い」と言うのを聞いた、次の日のことです。
朝の5時、ぼくは神棚のある部屋で、とつぜん叫びました。
のんのちゃんコップが、倒れちゃった。
それをみんなは、寝言というので、一応ねごとということにしておきます。
それを聞いた母は時計を見ました。朝の5時。ぼくがこんなに早くに起きて、水玉をひっくり返してしまったのだと思い、飛んできたときには、ぼくは爆睡中で、神棚の水玉も倒れておらず、母は朝ごはんの仕度をつづけました。
ただ、いやな予感は続いていたそうです。
6時前、工場に戻ろうとしたところ、病院にいた岡田さんの息子さんから電話がかかりました。朝5時ちょうどに亡くなったという知らせでした。
脱線しますが、姉から聞いた話です。
よく晴れた夏休み、プールに行こうとする時、母はこんなことを言ったそうです。
2時って、中途半端。それでも、約束を守って帰ったとたん、あたりが暗くなり、どしゃぶりになった。
今なら天気予報で分かりますが、これは50年近く前のこと。もしも天気予報のおばさんになっていたら、人気だったかもしれません。
そんなわけで、姉たちは母の言うことを、絶大に信じていました。
脱線おわり。
ぼくはよく、その日の朝のことを、みんなに聞かれました。
本当は、一瞬だけ起きた記憶があるので、夢ではないような気がするんです。
それでは、一瞬起きたときに、何をみたのかが問題ですよね。それを書く前に、なんでぼくが、「のんのちゃんのコップが倒れた」なんて叫んで、いかにも倒れたことを受け入れたように思えちゃうので、筋をとおしておきます。
「のんのちゃんのコップ」はぜったい倒れない説
「岡田さんのおばさん」は楽しかった「直会」の場所に、あいさつに来てくれた
ぼくは、この家のみんなといっしょに、幸せになる修行をしてきます。
ぴのすけは、この水がめのことを、憶えているはずがなかった
この先が長いので、ここでいったん切ります。
つぎは、ホントのホラーかもしれません。