「青は藍より出でて藍よりも青し」
タイトルにあるのは古代中国の荀子(じゅんし)という人の書いた『勧学編第一』という本の、始まりにあることばです。
☆勧学:学ぶことの勧め、べんきょうをすることのたいせつさがかかれています。
同じく荀子の『性悪編第二十三』は、このように始まります。
荀子は1番目の「青い色」の話からかぞえてぜんぶで32のお話をのこしており、この「性悪説(せいあくせつ)」が出てくるのは、ずっと後ろの、23番目です。
荀子の話は長いので、私を含めてぜんぶよむ人は少なくて、たいていの人が、こう考えます。
孟子の性善説 = 楽観主義
荀子の性悪説 = 悲観主義
わたしは「性悪説」を「善玉説」・「超絶楽観論」として取り上げます。それは、
子どもがじぶんの「のびシロ」を理解するうえで、めちゃめちゃメリットが大きいからです!
☆のびシロ:ばねやゴムがのびる長さ。子どもが大人になるときにどれくらいすごい人になるかをあらわす大きさ。
くわしい中身に入る前に、「藍(あい)」についてしらべてみましょう。
人が「青い色」をつくりだすまで
「青い色はアイという草の汁から作られるけれど、もとの材料(ざいりょう)の色よりもずっと青くなる」
上にあるのが「藍(アイ)」という植物(しょくぶつ)です。
この草をかりとって乾かしたあと、発酵(はっこう)させて、木を燃やした(もやした)あとの灰(はい)と混ぜて(まぜて)おくと、下のようになるそうです。
まわりの水分(すいぶん)は茶色っぽくて、まんなかの草は青と緑が混ざった色をしています。この材料を使って糸を染めると・・・
ふかい青色から、うすい水まで、さまざまな青い色に染まりました。
このとき、下のような木の灰(きのはい)が必要だそうです。「木灰」と書いて「もっかい」「きばい」などと呼ばれていて、アルカリ性にするのに使われます。
「性善説」と「性悪説」
「性善説」というのは、古代中国の孟子という人がとなえたものです。荀子が生まれるずっと昔のことでした。
人は生まれつき、「善(ぜん)」の心のもとになるものを持っているというのです。
これは本当に正しいことを言っているのですが、やっぱり多くの人が自分に都合の良いところしか読まず、意味が捻じ曲がってしまいます。
「性善説」は、悪意のある人たちには、こんなふうに伝わりました。
「人には『才能』を持って生まれた価値のある人と、何も持たずに生まれた、価値のない人がいる」
「私は、王さまになる定めをもって生まれてきた」
などなど、なんでもありです。
人の成長は分かりにくいので、バネに例えてみます。
変わり果てた「性善説」(生前所有論)
あかちゃんバネの図
おとなバネの図
荀子のいたころ、すでに世の中は乱れていました。
そこで荀子は人々に、こう伝えようとしたのです。
赤ちゃんがもっている「本能(ほんのう)」は、「たべものがほしい」「ねむりたい」という、生きていくために大切なことだけです。
「善(ぜん)」「悪(あく)」の心さえ、持っていません。親から教わって、初めて身につくのです。
「善」・「悪」を学ばずに大きくなってしまった大人のことを、想像してみてください。
それは、欲望(よくぼう:なんでもほしがること)のカタマリの、変な大人です。
人は、学習(がくしゅう)により、「善」「悪」の性質が初めて身(み)についていくのです。
荀子の「性悪説」(生後獲得論)
あかちゃんバネの図
おとなバネの図
荀子の「性悪説」は、孟子の「性善説」を一歩進めたものです。「新・性善説」とでもすれば良かったのですが、それでは中身が伝わりません。荀子が「性悪説」と名づけたのには、きっと、先輩に対する謙遜の気持ちがあったのではないかと思います。
この世界になぜ「善」は生まれたのか
人は何万年もの昔から、生きて行くにはどうしたらいいか考えてきました。
力を合わせてオオカミから村をまもったり、食料としてシカをとったり、イネを育てたりしました。
一方で、となりの村をおそって物を盗んだり、人を殺すこともありました。
村人を殺されたとなり村の人たちは、黙ってはいないでしょう。
村同士の戦いが起こることもありました。戦争です。
戦争は、その結果に喜ぶ人もいれば、悲しむ人もいます。
子どもや妻を奪われた人の中には、相手を憎むことばかりではなく、相手と仲良くしていれば良かったと、後悔する人も、いたはずです。
どうしたら、子どもや妻を、死なせずに済んだのか?
ふた子の性格が、それぞれ違うりゆう
ぼくは、こんなふうに考えています。
かんぜんに、荀子の考え方に毒されちゃっていますけど。
☆毒される:毒がからだにしみこむように、考え方が心にしみこむこと
ふたごの子をもっている女の先生に、こう反論されたことがありました。
生まれつきって、絶対あるのよ。
ぼくは、ケンカをするつもりはないので、
と答えておきました。
こういうふたごって、いるでしょうか?
絵本を読み聞かせているとき、
・ふたりとも同時に同じ疑問を持つ。
・同じ質問をして、同じ受け取り方をする。
・どちらか一人がおかしな質問することはない。
・一人だけ分からないことはない。
・一人にだけ、がっかりした顔を見せたりしない。
まったく同じに育てるって、そういうことです。
しかも、その女の先生は、心の繊細な人です。くわしくいうと、「機嫌」の良い、悪いがはっきりしています。その先生はよく、がっかりした顔をします。
ふたりの子の性格に「ムラ」があるのは、「生まれつき」を持ち出すまでもなく、
どんな親の心にだって「ムラ」がある
ということだけで、説明がつくではないですか?