よくはれた日のバスどおりを、父さんはリヤカーを引きながら、とおくからあるいてきます。
なん日かまえ、ぼくは父さんから、「根性焼き(こんじょうやき)」をくわされるところでした。
・・・くわしくは「自殺ほどダサい死にかたはない(青いはぎれ編)」をみてください。
リヤカーのにもつは、父さんが、しりあいの鉄工所(てっこうじょ)からもらってきた、文学全集(ぶんがくぜんしゅう)でした。
ぼくは、そのぶあつい本を、たからもののように、どこにでももって行って、よみつづけました。
バス遠足(えんそく)のとき、おやつをよういするきりょくもなく、リュックの中には、そのぶあつい本を2さつ、入れていきました。
うしろのほうのざせきに一人ですわり、リュックから出した本を読んでいると、たんにんの先生にみつかり、大声(おおごえ)でからかわれました。
ぼくは地獄(じごく)の中にいたので、しかたがありません。
しかし、そんな悪夢(あくむ)のような8ヶ月の間に、ぼくが学校に行かなかったのは、たったの14日でした。
その文学全集(ぶんがくぜんしゅう)のなかのお話を思いうかべるとき、ぼくはどんなにつらいことがあっても、ぜんぜん平気(へいき)だったのです。
その全集(ぜんしゅう)からぼくは、いろんなことを学びました。
☆天使(てんし)が地上(ちじょう)にあらわれるとき、その姿(すがた)は、健康(けんこう)な、美(うつくしい)しい姿(すがた)ではないこと。
☆小さなチャンスを粗末(そまつ)にすると、大きなチャンスを失う(うしなう)こと。
ぼくが、だいすきすぎて中毒(ちゅうどく)になった「くるみ割り人形」も、その中にありました。
その本を読んでいると、ゆめの中の世界のことなのか、本当の世界のことなのか、わからなくなります。
だから学校に行っても、お話の中の『つらいぶぶん』なのだと思えば、ガマンできたのかもしれません。
もしもこんなときに、人を殺す(ころす)ゲームにむちゅうになっていたら、ぼくはまちがいなく、殺人者(さつじんしゃ)になっていた、かもしれません。
ぼくはとても運(うん)のいいことに、『殺人(さつじん)ゲーム』ではなく『くるみ割りとねずみの王様』という本にであったのです。
その本はぼくに、こんな決意(けつい)をさせました。
ドロッセルマイヤーおじさんは、何でも作れて、何でも直せて、だけど、わけがわからない人。
『くるみ割りとねずみの王様』は、大人にも難しい(むずかしい)本の一つです。
ドロッセルマイヤー青年(せいねん)の、三つ編(みつあみ)とあごの、どこがどんなふうにつながっているかなんて、英語版(えいごばん)をよんでも、ホフマンが直接(ちょくせつ)かいたドイツ語版(どいつごばん)をよんでも、ちんぷんかんぷんです。
ぼくはそのドロッセルマイヤー青年の三つ編みのひみつに気がつきました。
そのひみつとは、
なのです。
いじめは半年以上つづきましたが、時間はちゃんと解決(かいけつ)してくれました。
中学(ちゅうがく)になって、ぼくはノートに「くるみわり人形」の作図(さくず)をします。
あたまのうしろのお下げ髪(おさげがみ)をひくと、口がとじるしくみをおもいついたのです。
8つはなれた妹に笑われました。
図はかけたけれど、作りかたがわからず、だいじにしまっておきました。
年月がたち、ぼくは、すべてをわすれていました。
ある日、ぼくの4さいのむすめがいいました。
むすめは、ぼくが、なんでもつくれるとしんじているんです!!
ノートをさがしましたが、あれからちょうど20回、ぼくは引越(ひっこし)をしています。
思い出しながらあたらしく図をかこうとおもいましたが、あれあれ、ぜんぜんにていません。ぼくのかおにそっくりだと、いもうとにからかわれたときのことは、はっきりとおぼえているんだけど・・・・。
そこでおもいきって、4さいの子でもくるみがわれる、もっと力のいらないものに作りなおしました。
ほんとうは、もっと力のいらないものもつくれます。
でも、そうしない理由(りゆう)があります。
くるみは硬い、そのことをいつか、ぼくたちはわすれてしまうからです。
その年のクリスマスのプレゼントは、てづくりの、「くるみわりにんぎょう」でした。
ぼくは、たった一人のむすめにとって、
もう、ドロッセルマイヤーおじさんに、なっていました。
40年まえに、ぼくが、大失敗(だいしっぱい)をしていたために、
このお話をよんだ、100万人の子どもたちを、たすけられます。
いま、大失敗(だいしっぱい)をしたあなたのために、
あなたのお話をよんだ、100万人の子どもたちは、たすけられます。
40年前、ぼくが死んでしまっていたら、
このお話を、あなたが読むチャンスは、ありませんでした。
いま、あなたが生きようとすることが、
なんねんかあとの、たくさんの子どもたちの、勇気(ゆうき)になります。