子どもは、この程度のことで死を選ぶ
ぼくは小学生のころ、ひと月にいちどは、大きな忘れものをした。
工作の道具、絵のぐセット、プリント・・・
家までの往復2kmを、なんど走ったかわからない。だけど、慣れっこになったわけではない。先生は言っていた。
ぼくは和菓子をつくる駄菓子屋の6人きょうだいで、小さいころから店番をした。だから、道でよく、お客さんにあう。
泣き顔のまま、道であいさつをするのは、けっこうきつい。
それは、あいさつじゃなくて、言いわけ。
あいさつだけ、したこともある。
なれなれしくて、ぶっきらぼうで、後悔しかない。
ひるまのあいさつが、苦手だった。
⇒ぼくのすきなあいさつ
11歳の誕生日。ぼくは、忘れものをしなかった。
ぬいものが得意な母さんが、1週間前から用意(ようい)してくれた、アイロンがかけられた、大きさのちがう、2まいのきれいな青い色のはぎれ。
ぼくは、母さんとやくそくをした。
その日のぼくは、めずらしく、いい子だった。
わすれものの王さまが、わすれものをしなかったのだから。
小さな選択
その日は朝から、悩ましいできごとがあった。いやいや、ちゃんと悩んでいたら、なんの問題にもならなかった。もっと真剣に悩んだほうが良かったできごと。
クラスで人気者の男の子が、はぎれを忘れた。
みんなはなぜか、ぼくが、はぎれを2つもっていることを、知っている。きっとぼくが、忘れものをしなかったこと、しかも、2つも持ってきていることを、自慢したとしか思えない。そんな小さなことが、ひとつの問題をつくるきっかけになった。
こんなときどうする?
友だちが忘れものをしました。あなたは2つ持っているけれど、1つは返す約束をしています。あなたはどれを選びますか?
イ.その子にあげる。(友だちをえらぶ)
ロ.その子にあげない。(約束をえらぶ)
ぼくがどっちを選んだかを答える前に、ぼくの性格を、分析してみます。ぼくには、わすれものの王さま以外に、あだなが2つありました。
1.「クソまじめ」(大学で、ともだちから)
2.「ばか正直」(高校3年のとき、担任から)
クソまじめで、ばか正直。略すと・・・クソばか。そんな、クソばかな性格のぼくは、なにも考えず、なんの心配もせずに、この問題の答えを出したんだと思います。ぼくの答えは(ロ)・・・つまり、
母さんとの、約束を守る。
だけど、ぼくと母さんとの約束なんて、だれの目にも見えません。クラスのみんなが見たのは、こんな場面だけです。
ぼくはその子に、はぎれを、あげなかった。
もしもこのとき、その子に「はぎれ」をあげていたら、あなたがこのお話を知ることは、なかったでしょう。ぼくが悩むことも、この文章をかくことも、なかったのだから。
「因果」・・・原因と結果
ひとりだけ、知らないバス停で、降りてしまうことを、想像してみてください。
気がつくとぼくだけ、みんなと離ればなれになった。
クラスにぼくの、味方(みかた)はいなかった。
その日からぼくは、悪者(わるもの)になった。
めずらしく、いい子だった日。
わすれものをしなかった日。
母さんとの、やくそくもまもった日。
ぼくの11さいのたんじょう日。
ぼくは人気者の子に、うらまれた。
ぼくは、わるものになった。
学校は、べんきょうをするところではなくなった。
きょうしつに、すすり泣く声が聞こえても、
まん中の、前から3ばんめのせきで、涙をながす子がいても、
何事(なにごと)もなく授業(じゅぎょう)は進(すす)む。
授業中(じゅぎょうちゅう)、ぼくはずっと考えていた。
もしもまだ間に合うなら、その子の家まで、走って行く。
その子の家なら、20分でもどれる。
もしもまだ間に合うなら、その子に青いはぎれをあげる。
でも、もうやり直せない。
授業(じゅぎょう)がおわっても、ぼくは自分(じぶん)の席(せき)から動(うご)けなかった。
ぼくの父さんにウソをついておこられた子が、ぼくを「ウソつき」とよんだ。
ぼくはその子に、ウソをいったことは一度もない。
みんなが思いつく「悪い言葉」は、全部ぼくの代名詞になった。
☆代名詞:なまえのあるものを、なまえをつかわずにあらわすべつのことば。たとえば「ぴなちゃん」なら「わたし、うち、きみ、あなたさま」など。
「ウソつき、弱虫、最低なヤツ・・・」全部、ぼくのことだ。
社会科(しゃかいか)見学(けんがく)のかえり道(みち)、だれかが、テレビドラマの主題歌(しゅだいか)を歌いはじめた。
替(か)え歌(うた)の中身は、とうぜんのように、ぼくのことだった。
歓声(かんせい)があがる。先生も、笑っている。
誰も、その歌を、止められない。
なんど繰り返すのか、永遠に終わらない。
待ち伏せからは、「逃げるが勝ち」
本屋のまえで、待ち伏せにあった。
5、6人、もっといたかもしれない。
みんなはぼくを見つけて、満足そうに笑っている。
彼らには、悪者をこらしめる大事なチャンス。
彼らが正義で、ぼくは悪。
遠回りするには、もう遅い。
ぼくは地獄にいるけれど、神さまは見てると信じてた。
だから、武器を持とうと、思わない。
だれかに助けてもらうなら、説明するより、ぼくだけ血まみれのほうが、つごうがいい。
一.だれも勇気なんて試していない。
一.あの織田信長だって、100回も逃げた。
一.逃げろ!分かっても分からなくても、逃げろ!
三十六計、逃げるに如かず。策略からは、「逃げるが勝ち」だ。
しかし、「クソまじめ」なぼくがえらんだのは、「強行突破」。ただカッコつけたいだけの強行突破が、どんな結末を迎えるか、ご覧いただきましょう。
☆策略:ひとをまきこむ、たくらみのこと。
☆強行突破:ごういんにつきすすんで、とっぱすること。ちえのない、のうみそのない人がやること。
勢いを速めて、突(つ)っ込(こ)んだ。
一人に肩を押された。
泣きそうになったけど、ぼくの勢いは、止まらなかった。
一人にかばんをつかまれた。
強く引いたら、その手はふりほどけた。
やった!やつらの待ち伏せを突破した!
よろこんだのもつかの間、次の瞬間、「強行突破」がうまくいった理由がわかった。
くつがずぶぬれ、かばんが泥だらけ。
後ろで、歓声が聞こえる。ぼくは、冷たくて、悔しくて、涙が出た。
待ち伏せとは、ワナのこと。ワナだとわかったら、ウサギだって自分からかかるほどバカじゃない。
【作戦A】本屋に入って30分立ち読みする。
【作戦B】向かいの薬屋に用があるフリをして、向かい側の歩道を進む。
ワナだなとわかったら、そこから全力で逃げるべきなんだ。どんなにおそいとわかっても、どんなにカッコ悪くても。
1.逃げた人を笑うのは、1日。
2.ワナにかかった人への笑いは、永遠につづく。
ぼくは彼らに、笑いのネタを提供した。永遠に、笑いつづけてくれ。
豆電球で書いた落書き
土曜日に学校が終わると、笑うこともできた。
ぼくには、おとうと、いもうとがいる。
ずっとあそんであげたかった。
日曜日の夕方は、ふさぎ込んだ。
「さざえさん」の主題歌を聞くと、いまもむねがくるしくなる。
眠れない日が、何日も続いた。眠ろうとすると、心が痛い。布団をかぶって、かいちゅう電灯の明かりで、本を読んだ。本さえあれば、つらくない。
毎日そうしていると、電池が切れる。電池を替えても、明かりがつかないときがあった。ぼくはこのときほど、かいちゅう電灯の研究をしたことはない。家にあったかいちゅう電灯は、ぜんぶぼくが分解した。
豆電球もみんな取り替えた。枕もとには、いくつもの切れた豆電球。
豆電球のお尻のところに、ハンダのかたまりがついている。枕もとの障子のすりガラスにこすりつけたら、字が書けた。
☆ハンダ:180℃くらいでとけるやわらかい金属。電気を流したい金属同士をつなぐのに使う。(パンダじゃないよ)
☆すりガラス:表面を細かくざらざらにした、白っぽい色のガラス。
そこに「死にたい」って書いたら、消(き)えなくなった。
何日かして、父さんに見つかり、ひどく怒られた。
ひらきなおったぼくに、父さんは手こずったのだろう。
たばこに火をつけると、すこしすって、火を大きくして、ぼくの手に、その火を近づけた。
「おまえが死ぬとき、父さんや母さんは、これよりもっと、心がいたむ。どのくらいの痛みか、おぼえておきなさい。」
ほんとうに、火をこすりつけたわけではありません。
その痛みを、がまんできたかもしれません。
ぼくがガマンできなかったのは、父さんの声が、かすれていたことでした。
生(う)まれて初(はじ)めて、父さんのかすれた声を、聞いたからでした。
ぼくは、父さんに、ちかいました。
もう、死にたいと言いません。
もう、死にたいと思いません。
その後、父さんはぼくにたくさんの本を読むようにいいました。
⇒「リヤカーいっぱいに未来をのせて」をみてください。
解決(かいけつ)
ある日、クラスの女の子が、ぼくの母親に、学校であったことを話しました。
母親は学校に電話をすると、次の日さっそく、仲直りの話し合いをすることになりました。
ぼくは、このあたりの記憶がありません。
おぼえているのは、女の子がうちの店に来たこと、母さんが学校に電話をしたこと、そして何も変わらなかったことです。
仲直りの話し合いをしたあと、ぼくは「告げ口をした嫌なヤツ」になりました。
仲直りの話し合いがうまくいかなかった理由です。
彼らには、あやまる理由が、なかった。
彼らも、自分たちが正義なのだと信じているのです。
コウモリくんに関する3つの法則
問題(もんだい)には、
1「解決(かいけつ)できないこと」
2「誤解(ごかい)がとければ、解決(かいけつ)すること」
3「時間がたてば、解決(かいけつ)すること」
の3種類があるそうです。
ぼくの問題は、時間が解決してくれました。8ヶ月かかりました。
ぼくたちはもう、6年生になっていました。
そして、やつらはもう、あきているのが、ぼくの目からも、わかりました。
8ヶ月の間、ぼくは、まったく一人だったわけではありません。
中には、気に掛けてくれている子もいました。とりわけぼくには、たった一人、友だちと、思っている子がいました。
週に一回通っていた、英語の塾でのこと。ぼくら2人以外はみんな、となりの小学校の子でした。
ぼくはいつも、かくにんテストを、いちばんにおわりました。
そんなぼくを、たよりにしてくれる友だちがいたのです。
塾の中では、じゃれ合うふつうの小学5年生。
だけど、小学校では、まったくの他人。
その友だちを「コウモリ君」と名づけておきます。
☆コウモリ君:トリたちといっしょのときは、じぶんはトリだといい、ケモノたちといっしょのときは、じぶんはケモノだという。それをズルいときめつけて、へんなストーリーをつくったイソップも、どうかしてる。
小学校では、ぼくに見向きもしないコウモリ君でしたが、それは仕方のないことでした。
だれもが嫌いな人を元気づけようとするとき、「コウモリ君」になる以外に、方法はない。
学校の中でぼくと仲良くするのは、危険なことです。ぼくがどんな目にあったかを、全部見ているのですから。子どもには、その場所によって生きのびる方法を変えることも、必要なのです。
コウモリ君に親切にしていると、コウモリ君は「あちら側」で、悪口を言いづらくなる。
正直なことを言うと、コウモリ君を、ズルくないと思うには、時間がかかりました。それは、これまでに学んだことが、すこしまちがっていたためです。
ぼくは、親切にするのが楽しくて、そこからエネルギーをもらえることに、気づきました。
弱音をいわずに親切にしていると、コウモリ君っぽい人がだんだん増えてくる。
得意なことは、どんな子にも、元気をとりもどすチャンスになります。
脱線/ぼくが自信をとりもどしたきっかけ
ぼくが英語を得意にしていたのには、秘密があります。
そのころ放送されていた「セサミストリート」という英語の番組を録音して、カエルのカーミットのセリフを覚えようとしていたのです。
カエルのカーミット登場のセリフ
Hi Ho! This is Kermit The Frog Here!
(カーミットはわざと「The」の発音をまちがえます)
いつも声をだしていたので、テキストを読む自信がつき、単語も、簡単な作文も得意になりました。
幕
「そろそろゆるしてあげよう」
その子たちのなかでいちばん背の高い子が、何度か、そう言っているのを聞きました。
国と国との戦争(せんそう)も、たぶん、こんなふうに終(お)わります。
どちらも、自分が悪かったなんて、少しも思っていない。
彼らがぼくを許したのは、こうしていることに飽(あ)きたから。
ぼくが彼らを許したのは、どうでもよかったから。
そして、ぼくは、その子たちとまた仲良しになりました。
ぼくはそのあと、ぼくの問題は8ヶ月もかからないことに気づきました。
⇒「大嫌いなヤツを、こてんぱんにする方法」につづきます。
元気が出なかった人は、
⇒「自殺ほどダサい死に方はない/かんちがい編」をみてください。